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福高野球部・立川高校と親善試合

3月26日(土)、福島高校野球部は、都立立川高校にて、毎春恒例の親善試合を行いました。
左腕の大内投手(1年生)が10奪三振と好投し、結果は4-1で勝利しました。今夏に向けて応援していきましょう!

上竹 實(高5回 野球部OB)

 

 
アーチェリー部OBの皆さんへ

初めまして、36回卒の安東 幸治と申します。

先月帰省し母校の前を通りかかった時に、私が所属していたアーチェリー部が全国大会で3位!(女子ですが)と云う横断幕を見ました。

折角なのでOBに声を掛けて、何かお祝い出来ないかと思っています。

そこでアーチェリー部に所属していた、もしくは元部員の連絡先を知っているという方は、以下のメアド宛にご連絡頂けないでしょうか。

flatout@kjb.biglobe.ne.jp

お手数ですがよろしくお願いします。

安東

 
 
みやぎ梅苑会「AKAZA会」発足!

 高34回、菅野剛広です。このたび、みやぎ梅苑会の士業に携わっている同窓生で、交流会を立ち上げました。 名称は「AKAZA会」。
 発起人5人で立ち上げ、7月24日(金)に第1回の懇親会を開催する予定です。
 今後、盛り上げていきたいと思いますので、多くの方の参加をお待ちしております。
 ご関心があればお気軽にご連絡ください。

 詳細は、下記の通りです。

AKAZA会【みやぎ梅苑会 専門職(士業)交流会】

【趣 旨】

・福島高校同窓生の専門職の親睦を図り、情報交換を行い、絆を深める。

・福島高校同窓生で士業を志す同窓生のバックアップを惜しまない。

・福島高校同窓生の問題解決の手助けをする。

・みやぎ梅苑会の発展に貢献する。


【名称・AKAZA会のコンセプト】

・福高生、同窓生であればピンとくる、耳覚えのあるネーミング、響き

・藜(あかざ)英語で葉が水鳥の足のような形をしているためGoosefootと呼ばれることがあります。

「ただ見れば 何の苦もなき水鳥の 足に暇なきわが思いかな」水戸光圀公の言葉

見えないところでの切磋琢磨を怠らない、仕事への想いを込めています。

【参加資格】

・福島県立福島高校の同窓生

・みやぎ梅苑会の会員

・士業に携わっている(士業の内容は問わない)

・AKAZA会の趣旨に賛同し、会に積極的に参加し交流を深める

【発起人メンバー (敬称略)】

真田昌行(高校32回) 弁護士

三島法律事務所 022-223-3857

菅野剛広(高校34回) ファイナンシャルプランニング技能士

ソニー生命保険株式会社 022-257-7878

高原 透(高校39回) 公認会計士

有限責任監査法人トーマツ 022-217-8201

竹石淳一(高校39回) 税理士

竹石淳一税理士事務所 022-219-7851

上田信洋(高校43回) 社会保険労務士

High Field 社会保険労務士事務所 022-302-7381

【連絡先】

菅野剛広(かんのたかひろ)

携帯電話:090-3640-1881 Email:tk.tovezzo@gmail.com

みやぎ梅苑会アドレス miyagibai@yahoo.co.jp

 
 
【同窓生の著書 ご紹介】
福島藩を舞台にした長編時代小説 「春のみなも」
春のみなも
著:春吉 省吾(高校21回卒 佐藤祥一)

あらすじ(著者挨拶文より抜粋)  
・・・・
 十数年前からすこしずつ資料集めや調査をし、3年半前に本格的な執筆を始めました。
 福島・伊達市を中心とする信達地方を詳しく知るにつけ、「福島」は実にダイナミックな歴史を持ち、 現在に至っていることが判ってきました。しかし、福島の旧市内は明治14年(1881年)の大火と、 道路県令の異名を持つ三島通庸によって江戸期の町並みは激変してしまいました。

 物語を書くにあたっては阿武隈川や吾妻の峰々、四季折々の豊かな稔りの風景など、現代の我々にも 変わらずイメージできる「故郷」の風景を丹念に書き込むことにしました。
 そして時間軸を、信達地方が最も躍動した幕末とし、その福島城下で生まれ、過酷な境遇にあっても いささかも挫けずに生きていく「初」という女性を主人公に据え、彼女に様々な「物語」を紡ぎ出して貰う事にいたしました。  

 幕末期には、全国でも有数な生糸市場であった信達地方は、その取引によって多くの豪商達が活躍し、 藩の財政を牛耳り、福島城下の治安を守ったといいます。また、江戸期を通じて最大規模の「信達一揆」 などは、今ではすっかり忘れ去られています。けれどその意思とバイタリティは、今後の「福島復興・再生」の ために決して忘れてはいけない精神だと思っております。
  『春のみなも』はその「傑物達」を讃えるとともに、彼らに捧げるレクイエム(鎮魂歌)でもあります。

 執筆を本格的に始めてすぐ、平成23年3月11日に「東日本大震災」「福島第一原子力発電所事故」が起こりました。 震災の犠牲者は死者、行方不明者併せて計18,517人にのぼり、3年経った今でも、福島第一原発事故に 伴う13万人を超える方々が故郷を離れて避難生活を強いられています。

 実は、今から1年前にこの「小説」は仕上がっていたのですが、熟慮の末、書き直すことに致しました。
 原発事故のいわれなき誹謗中傷や、過剰なまでのセンチメンタルな反応を一切捨象し、「福島の歴史」を 激動の幕末史と重ね合わせ、日本をはじめ「世界」の人々に「美しく逞しい福島」を知って貰うべく、 その意思を小説『春のみなも』に込め、世に問うことにいたしました。

  幕末の「福島」に生き、そこで育まれた深く広い教養、剣や居合や柔術の技(業)を身につけた「初」は 「鎮魂と祈り」を胸に秘め、「希望の意思」実行のために福島を離れます。「初」の実力は横浜・東京で開花し、 その意思は、息子や孫や曾孫に引き継がれ、世界を救うのです。  

 同時に「初」の意思は、世界中から負のイメージとして焼き付けられてしまった「FUKUSHIMA」を、 希望ある誇り高き「FUKUSHIMA」に変えたいという物書き「春吉省吾」の切なる思いでもあり、福島市民、 県民、そして日本中の人々が、世界に発信するメッセージであると信じて疑いません。  
・・・・

・著者プロフィール −> http://nork.co.jp/kaishaHOUSHIN.html

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若手音楽家グループ「フィオリーレ」WINTERコンサート2013
WINTER CONCERT 2013
     

58回卒を中心とした音楽家グループ「フィオリーレ」が、4/27(土)の「一詩十色 〜読むコンサート」(東京)に続き、福島でウィンターコンサートを開催します。

今回は、歌とピアノとパーカッションによるコンサート。

前半のクラシックコーナーはソロ曲を中心に、後半ではアンサンブルを交えながら今年一年を音楽で振り返ります。

男子高最後の学年にあたる57回卒の仲沼祐太さんアレンジの曲も演奏する予定です。

年末に帰省された方もお気軽に立ち寄り下さい!

  フィオリーレ WINTERコンサート
     
【日  時】 2013年12月29日(日)  開場13:30 開演14:00
【会  場】 福島県文化センター小ホール
【入場料】 500円(全席自由)
   
 出  演: パーカッション  阿部徳博    
ピアノ       工藤保香
ピアノ       鈴木香奈子
ピアノ       武石頼子
ソプラノ      二瓶舞子
テノール      宮西一弘
   
  チケットは出演者かfiorire2008@yahoo.co.jpにご連絡いただくか、 下記のお店でお買い求めください。

(チケット販売店) 福島県文化センター、福島市音楽堂、あきたや楽器(福島)、 河合楽器製作所 福島店、日野屋楽器店(福島)
 
若槻武雄(高14回) 著 『蝦夷・出羽・歌枕 彷徨其の三 山形編・秋田編』

高校14回の若槻武雄さんがこの7月、「福島編」「宮城編」に続く3冊目「山形・秋田編」を出版されました。
前作2冊と同様、歌碑、城跡、遺跡などの写真を数多く掲載し、山形と秋田の歌枕(=和歌の題材とされた日本の名所旧跡)を紹介しています。
和歌にはあまりなじみのない方でも、この書を通して歌に秘められた東北地方の歴史に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
文章はとてもわかりやすく、帯にあるように読んでみると確かに『出羽は面白い。古代の出羽は裏日本ではない。表舞台だった。』と思われるはずです。
なお、内容は若槻さんのホームページでもご欄いただけます。

http://www.t-aterui.jp/

『宮城編』はこちらに掲載

『福島編』はこちらに掲載

(31回、島田久)

  蝦夷・出羽・歌枕 山形 秋田編
●若槻さんからのコメント
長い間、東北弁は多くの方言の中でもコンプレックスを感じる言葉でした。
それは同じまつろわぬ九州の隼人の薩摩弁と東北の蝦夷の東北弁を比較すればそれは歴然でしょう。何故なのでしょうか?
3.11大震災以降の「八重の桜」や「あまちゃん」の東北弁が、関西弁、鹿児島弁や 他の方言に劣らぬ個性を持っていることが日本中に少し認知されたように思います。
大好きな東北弁に大いに自信を持ち拙書から東北の魅力を少しでも覗いでいただければ嬉しいです。
(若槻武雄)
<著書について>
発行人 若槻武雄
制作・印刷 株式会社民報印刷
発行日 2013年(平成25年)7月7日
*この本はアマゾンamazon.co.jpでも購入可能です。「蝦夷・出羽・歌枕」で検索してください。
※各画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。
 
 

【山形編】
山形市 阿古耶の松から

 
 
【山形編】
米沢市 優嗜雲(うきたむ)から
 
【秋田編】
鹿角市 錦木塚・狭布の里から
 
【秋田編】
北秋田市 森吉山(秋田の山)から
 
【秋田編】
男鹿市 男鹿から
 
「ガンバレ復興福島」のお知らせ
 
前会長の神津知男さん(高10回、名誉会長)が所属する東京東久留米ロータリークラブで、福島の物産展や講演会が行われます。お近くの方は、どうぞお越しください。
 
ガンバレ復興福島
菊地 亜沙花さん(高61回)
 
高61回卒、大学生の菊地亜沙花さんからの英語劇公演のお知らせです。
(以下、菊地さんからの原文)
 
この春から、たくさんの素晴らしい大学生の仲間と英語で舞台をつくらせていただいております。
生まれること、結婚する事、涙が枯れるほど悲しいこと、表現できないほど嬉しいこと、言葉には表せないような感情,,,
言葉では本当に言えないのですが、あえていうなら、この舞台を通して人間が生きていく上での何か大切なものを、
92人やたくさんの支えてくださった方と表現できたらいいなと思います。

もう期間がせまっていて予定があるという方もいらっしゃると思いますが、Scheduleアレンジできる方はどうか菊地に会いに来てください、純粋にみんなに会いたいです(^^)お待ちしております。

【公演日】
5月12日(土)13:30/18:30
5月13日(日)12:00/16:00

【チケット申し込み】
http://ticket.corich.jp/apply/35577/085/
ここからチケットをご自身で予約していただき、ご一報くだされば幸いです(^^)/

アドレスが違くなってしまって連絡を取れない状態なので、こちらに連絡ください。
akox2525@docomo.ne.jp

【公演概要】
○団体:Model Production 2012/東京学生英語劇連盟
○演目:"Here we are"
○演出:山内ひさし
○公演日程:全4回... 公演
5月12日(土)13:30/18:30
5月13日(日)12:00/16:00

※チケット引き換え:1時間15分前、開場:30分前
※各公演1000人を予定しております。混雑を防ぐため、お早めにお越しください。

○会場:世田谷区民会館 東急世田谷線「松陰神社前駅」より徒歩5分
○料金:前売り・当日共(全席自由) 一般999円/中学生以下500円
※席に限りがございます。毎年大好評につき、早めにチケット申し込みを締め切らせていただくことがございます。
お早めにお求めくださいますよう、お願い致します。

○あらすじ 北アメリカのとある小さな町で繰り返される、平穏な毎日。 主人公の少女は、そこで生まれ育ち、恋愛、結婚、出産…そして彼女が経験することとは…。 "Here we are"ーこの作品を観た後は、あなたも「生きる」ことについてきっと考えずにはいられない。

【お問い合わせ】
○ Email: modelproduction12@gmail.com
○ HP: http://mp2012.web.fc2.com/
○ Blog: http://mp2012.blog.fc2.com/
○ twitterアカウント: @mp12official
Model Production 2012 制作一同
油井富雄(高24回) 著 「浅田宗伯」
 事務局員の24回油井さんが、江戸末期から明治にかけて活躍した浅田宗伯についての単行本を医療タイムス社から出版されました。 下記のサイトで購入することができます。http://times-net.info/book/index.php
●本の内容について油井さんからの解説
■篤姫の主治医・大正天皇の命を救う  
 浅田宗伯(1815〜1894)は、信州松本の生まれで、江戸で医者を開業、幕末期には14代将軍の徳川家定の侍医になった人です。その後、天璋院(篤姫)や家定未亡人の静寛院(皇女和宮)の主治医を務めました。  また、江戸城無血開城の前夜、西郷隆盛らへの篤姫や和宮の書簡を運んだ人でもあるのです。  明治になって、明治天皇の第5子にあたる唯一の男子の明宮(はるのみや・のちの大正天皇)の御典医として命を救った人物です。浅田宗伯がいなければ、大正天皇はこの世に存在せず、昭和天皇も……。  幕末、明治の歴史発掘の書でもありますが、この本の筋のメインは、明治期、日本の医学が西洋医学化され漢方医学が排斥された歴史を振り返り、現在の医療、将来の行方を描くことの参考になればと思います。

■飯坂町出身の医師の史料収集の過程で
 もともと、幕末、明治の医学の歴史に興味をいだき、これを書く大きな原動力となったのは、福島市飯坂町出身の南部精一郎という人物からです。南部は江戸に出て会津藩から奨学金をもらい長崎にポンペや松本良順を師匠にしてオランダ医学を学んでおり、この人物の史料が大いに役に立ちました。  南部は西洋医学、今回の主人公の浅田宗伯は漢方医学、対比することで、より医学の歴史が鮮明になったのです。 この南部は新撰組の主治医を務め、会津戦争を戦いました。明治になって岩手県や愛媛県の病院長を務め、最終的に飯坂町に戻り開業しています。  まだまだ、南部については史料が少ないく書きだせないのですが、故郷を離れて、何を拠り所に生きてきたのか、福島生まれの南部については、これからまとめたいと思います。福島で生まれ福高で学び、故郷を離れた自分を重ねているのかもしれません。関東梅苑会の会員の抱く共通のテーマかもしれません。
環境省・小林 香さん(高29回)
 
現在、環境省 東北地方環境事務所の所長でご活躍されています29回卒小林香さんが、 3月14日に郡山市で地球温暖化に関する講演を行います。
小林さんは昨年、当会の勉強会『環境セミナー』で講師をしていただきました。
 
 
映画監督・千葉 茂樹さん(高4回)
 
2010年1月7日の朝日新聞に、「生誕100年『マザーテレサと生きる』を世に問う映画監督」と題して、以前総会でお会いした高4回の千葉茂樹さんの記事が載っていましたので、皆さんにお知らせ致します。
 
 
高8回  中村 光雄
 
若槻武雄(高14回) 著 『蝦夷・陸奥・歌枕 宮城編』
 

14回の若槻武雄さんが、「福島編」に続き「宮城編」を出版しました。 (平成21年11月1日 発行) 宮城各地で詠まれた詩歌にまつわる歴史資料や写真が豊富に掲載された390ページもの大作。
ホームページでもご欄いただけます。
http://www.t-aterui.jp/

 
●若槻さんから一言から   陸奥に生まれ坂東で長くご活躍の関東梅苑会の皆様も生まれ育ったふるさと陸奥福島は常に心にひっかかってる事と思います。私も定年後はその気になる故郷陸奥を彷徨してみました。どうせ歩くなら形に残そうかと恥ずかしながら拙書を自費出版した次第です。浅学菲才の趣味の本で陸奥の魅力のほんの一部あろう事をご承知置き下さい。
 
 
 
 
 
 
 
なお、「福島編」の記事はこちら−
 
 
39回卒・深沼元昭さん、新アルバム発売
独自のロックサウンドの創り手として活躍
 
ミュージシャンでソロ・プロジェクトMellowhead(メロウヘッド)の39回卒の深沼元昭さんが、この春新しいアルバム
『Mellowhead Daydream weaver』をリリースした。
【Mellowhead とは】
90年代ロック・シーンの良心として活躍したバンド『プレイグス』のフロントマン深沼元昭さんが、バンド活動休止後の2002年から始動させたソロ・プロジェクト。
作家/プロデューサーとしても深田恭子やLead、浅井健一、RAG FAIR、及川光博等を手掛ける深沼さんのトラック・クリエイターとしての手腕を最大限に発揮し、洋楽志向かつDTM世代ならではの高品質ポップ・ミュージックを提示し続けている。
 
  これまでに4枚のオリジナル・アルバムと1枚のベスト・アルバムを発表、楽曲によって佐野元春・田中和将(グレイプバイン) ・及川光博・片寄明人(Great 3)・キタキマユ・山川恵里佳といった多彩なボーカリストをフィーチャリングして話題を集めている。
その傍ら深沼さんは2007年、元ピールアウトの近藤智洋らとギターロック・バンド『GHEEE』を結成し、2枚のCDリリースや年間40本以上のライブを敢行するなど、並行して精力的な活動も行っている。
アルバム『Mellowhead Daydream weaver』には佐野元春さんがフィーチャリングボーカルとして参加。PLAGUSE時代の<胸いっぱいの愛>も入っている。ロックサウンドで優しいギターロックの独自の新境地を開いたミュージシャンとして多くのファンをもつ深沼さんは川俣小、中を過ごした深沼さんは昭和59年(1984)に福島高校に入学した。その深沼さんに話を聞いた。
 

●川俣出身。実家はお寺

――もともと音楽を始めた経緯は?

深沼  小学5年ぐらいでしたか。ちょうど8歳上のいとこがいて、ギターを弾き、自分で作詞作曲し、テープレコーダーに録音していたのです。その創作の現場を見たときは衝撃的でしたね。こんな世界があるんだ、ようし、俺も…、というのがきっかけでした。それでクラシックギターを手に弾き始めたわけです。

――実家はお寺だとか?

深沼  はい、父は川俣の常泉寺の住職。中学の3年時にヤンキーな仲間とバンドらしきものを作って練習していましたね。まあ寺は広いし、思う存分音は出せる環境にはありました。

●高校時代にはギター部、学外の9つのバンドに所属文化センターなどでコンサートも

――高校に入ってからは?

深沼  学内ではギター部に所属していましたが主な活動は学外のバンドに参加していました。結局9つバンドに参加し、その一方で自宅録音で自分の作詞・作曲の歌を吹き込みオーデションに応募していました。ソニーの全国大会まで行ったことがありましたね。
  練習スタジオはスズラン通りにあった楽器店の貸しスタジオで、入っているバンドが幾もあったんでほぼ毎日やっていましたね。

――コンサートなどは ?

深沼  福島文化センターの小ホールなどでコンサートをやったりしていました。いまでは共学になりましたが、お客さんに男ばかりなんてつまんないですからね。チケットを女子校中心に売りさばき、結構稼いで、楽器代を調達できた時もありました。

【その後、深沼さんは明治大学文学部に進学、音楽活動を続けた】

●明大卒業後、駒沢大仏教学部、そしてメジャーデビュー

深沼  いとこが東京にいたので、ごく自然に東京の大学にしました。大学を卒業し駒沢大学の仏教学部の3年に編入学しています。まあ実家がお寺ですから、いろいろ音楽活動するのにまだ学生でいるのもいいかな、と。

 【ちょうど、駒沢大学を卒業すると同時期にメジャーデビューを果たしている】

●高校時代は、大事な出会いの“場”だった

――福島とは、また福高とは?

深沼  けっこう帰省していますからね。距離感覚が身近過ぎる。また、お盆などではお寺の“仕事”もできます。法事なんかは一人でもこなせますよ。あと、どうしても県北地方は、会津なんかと違って郷土意識は少ないのは仕方ないことですね。
  しかし、育った“場”として、いろいろな人と出会った“場”として大事な場所ですね。
特に高校は、そういう意味では一番大きな“場”ですからね。いまこうしてこの場所でお話しているのも……

【高校の同期の高橋仁さん(ジンコーポレーション社長)、梅津秀一さん(同専務取締役)、苫米地雅人さん、佐藤義博さん(同役員)らがいる渋谷区のジンコーポレーションのオフィスで取材が行われ、苫米地さんも同席して、同期の思い出を語ってくれた】
 
――高校に後輩たちにひと言

深沼  自分の心の内のモチベーションに従って動いてみる。2、3回失敗したっていいじゃないですか。いくらでもやり直せる時代です。自分のことをいえば、小学校の高学年くらいから始めた音楽ですが、これを止めることの方が難しい。そしていつも未完成で、もっといいものをという努力をし続けていきたいですね。
                                        
 
同期の苫米地さん(右)と
 
 
26回卒・弁理士・古関宏さん『商標法概論』を出版
古関さんは、昭和49年に福島高校を卒業、慶応大学法学部法律学科に進学。その後、同大学院修士課程から博士課程に進んでいる。

昭和62年に弁理士試験に合格し弁理士として活動。平成5年に独立し古関特許事務所(港区西新橋)を開設した。商標関連の専門弁理士として活躍し、その第一人者のひとり。

平成21年8月に出版された書は『商標法概論』(法学書院・税込み3150円)の大著。
書店のキャッチコピーには<ベテラン弁理士が書き下ろした弁理士受験のための基本書。商標法を法制度から実務レベルに踏み込んで解説>とある。

 
 
 
OBによる応援歌講習復活
あの応援指導が復活するという記事が福島民報に掲載されておりましたのでご紹介いたします。 復活を働きかけているOBの様子をご一読ください。
(記事の紹介:5回・上竹さん)
                                               福島民報 平成20年6月29日掲載
 
幻の応援歌講習
                                                    福島民報 平成20年8月11日掲載
                                                             
砂子田 隆さん 東京福島県人会 第8代会長に (中44回、昭和20年3月卒)
 今月6月5日の東京福島県人会春季総会に於きまして、我が母校の大先輩、砂子田隆さん(中44回卒)が、川島廣守会長に代り第8代会長として推挙され就任する事となりました。

  東京福島県人会は、関東地区に居住する福島県出身者で組織する任意団体です (事務局/千代田区平河町、福島県東京事務所)。会員相互の親睦を厚くし、県及び県人の福利増進を図ることを目的にして、昭和25年に創設。
 春と秋の総会・懇親会には、県知事にも出席をお願いし、およそ130名位が参加します。
 年会費は1000円、隔年で会報を発行、会員数は約1200名、福中・福高の関東地区同窓生が57名入会しています。

 なお、関東地区同窓生有志で下記の如くお祝い会を開催します。
 多くの方のご出席をお願いいたします。       
  
       [新聞記事をクリックすると拡大されます]
 
「砂子田隆先輩の会長就任をお祝いし今後のご活躍を励ます会」
日  時 : 平成20年7月10日(木) 午後6時〜8時

会  場 : 東海大学校友会館 千代田区霞が関ビル33階 電話03−3581−0121
       (交通) 地下鉄 銀座線「虎ノ門駅」下車3分、日比谷線・千代田線・丸ノ内線「霞ヶ関駅」下車5分
       http://www.tokai33.co.jp/access.html

会  費 : 6千円

発起人 : 丹治清吉(1回)、小松和雄(2回)、山口隆(3回)、上竹實(5回)、神津知男(10回)、二階堂晋一(16回)

ご出席の方は、6月末日まで右記メール宛にご連絡をお願いします。    上竹實さんまで uetake-m@nifty.com
 
◆砂子田 隆さんの経歴
 ・福島中 第44回(昭和20年3月)卒
 ・東北大学 法学部卒
 ・自冶省入省〜消防庁長官で退官
 ・地方公務員共済組合連合会 理事長などを歴任
寄稿 月周回衛星「かぐや」プロジェクト
35回卒 春山 純一さん
昨年来、「月周回衛星・かぐや」についての報道をたびたび耳にされていることと思います。その「かぐや」プロジェクトを推進している独立行政法人 宇宙航空研究開発機構に勤務している同窓生より、このプロジェクトの背景や仕事のことなどについて寄稿いただきましたのでご紹介させていただきます。同窓生が関わっているというだけで、この大プロジェクトもぐっと身近に感じられますね。文中の小見出しは編集上つけさせていただきました。春山さん、お忙しい中、原稿をお送りいただきありがとうございました。
☆「かぐや/SELENA」について
 
   現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)にて月探査衛星「かぐや」プロジェクトに携わっています。
  「かぐや」についてはJAXAのホームページ[http://www.kaguya.jaxa.jp/]で紹介しています。また、取得したデータについての一般公開は、「かぐや」画像ギャラリー
[http://wms.selene.jaxa.jp/index_j.html]などに掲載していますので是非ご覧下さい。
  「かぐや」は、昨年9月に種子島からH2A型ロケットで打ち上げられました。実に、打ち上げ重量は3トンという巨大な探査機です。
「かぐや」は打ち上げ後約一ヶ月の宇宙空間の旅を経て月に到着し、月表面の上空100kmの高度を回る衛星となりました。探査機には15ものミッション機器が搭載され、1969年から1972年まで行われたアメリカのアポロ計画以来の本格的な月探査機といわれています。
 月からは、数100kgにも及ぶ試料(サンプル)が持ち帰られてきています。その試料からは、月の生い立ちばかりでなく、地球や他の惑星の生い立ちを知る手がかりが得られました。たとえば、かつて月や地球は全球がどろどろに溶けていた時期があったこと、太陽系の中で隕石がかつて多く降り注ぎ、やがて時代を得るに従い隕石の数は少なくなっていったことなどです。月を研究することは、月を知ることだけでなく、私たちの住む地球や太陽系の過去、現在、そして未来を知り予測することにつながるのです。
  アポロ計画で多くのことがわかりました。しかし、アポロ計画終了後、月に再び探査機が向かったのは、その後20年以上も経ってからでした。1994年のクレメンタイ衛星、1998年にはルナープロスペクター衛星が月に再び訪れました。これらは500kg程度の(小型)衛星であったにもかかわらず多くの知見を得ました。そこでわかったのは、アポロ計画で我々が理解していたと思っていたことは、実は月の一部の事に過ぎないのかもしれない、ということでした。
  アポロ計画は人を月に降ろすことを優先しました。人が月に降りるための探査となると制約があります。まず、太陽エネルギーを十分に得るために月赤道域に着陸船を下ろすこと、従って赤道周回探査機の方が都合がよいこと。次に、人が降りて還ってくるために、月面で14日間続く昼間の中で、朝方に降りておくこと(夕方に降りると、その後夜になってしまうと、太陽エネルギーを得られません)。そして、何より人が行って還ってこなければならないため、1ヶ月ものミッションとできなかったこと、などです。そのため、アポロ計画でデータが取得されているのは、月の全表面でいうと、その1〜2割程度のことなのです。1990年代のクレメンタイン衛星やルナープロスペクター衛星は、月の全球を調べ、そこで得られた情報から、ふたたび月を本格的に探査することの重要性が再確認されたのです。
  一方日本では、こうしたクレメンタイン衛星やルナープロスペクター衛星での成果が現れる前から、月の重要性を認識し探査計画を着々と進めていました。月の内部構造を地震波(月にも地震がおこるのです)を使って調べようというルナーA計画であり、「かぐや」となって実を結んだSELENE(セレーネ)計画でした。ルナーA計画はいくつかの開発課題が判明し、現在再出発を検討しておりますが、「かぐや」は今多くの成果を生みつつあります。
☆担当する仕事について
 私は、「かぐや」に搭載されている科学探査用のカメラを担当しています。「かぐや」には、10mの高解像度立体視データを取得する「地形カメラ」、可視域から近赤外域までの9つのカラーフィルターを通して画像を得る「マルチバンドイメージャ」、可視域から近赤外域までを連続的に分光する「スペクトルプロファイラー」です。月の小さな凹凸を地形カメラで調べます。マルチバンドイメージャは9つの色の違いから物質の広がりかたを調べます。スペクトルプロファイラーは、二次元画像を得ることはしませんが、そのかわり連続分光データで、具体的な物質(鉱物)を調べることができます。わたしは、これら三つのカメラ、特に地形カメラに関するカメラの開発、地上処理、そして、科学的な解析、すべてを担当しています。
 
 こうした役割を持つ者は、PI(Princinpal Investigator:主責任者)と呼ばれます。責任の重い仕事ですが、大変やりがいのあるものです。
 地形カメラは、月の全表面について撮像を行いつつあり、これまで知られていなかった詳細な凹凸情報を収集しつつあります。マルチバンドイメージャで詳細に分けられつつ有る物質の広がり情報は、クレメンタインの1桁上を行く詳細さです。スペクトルプロファイラーで得られつつある鉱物情報は、これまでの探査では全く得られていなかったものです。月の起源や進化の謎を解く鍵をこれらのカメラで得つつあるのです。これら三つのカメラの成果、取得したデータの一部については、これまでにも「かぐや」のホームページなどで紹介してきていますが、これからも更に順次公開されていくことになっていますのでご期待下さい。
  「かぐや」のデータは、主に私の所属する神奈川県相模原にある宇宙研で処理され解析されますが、東北にも「かぐや」搭載のカメラデータを解析する拠点があります。県内でいうと、浅田先生を中心とする会津大学が活躍しています。会津大学では、主に国立天文台が担当する月高度計データと我々の地形カメラのデータの観測位置を合わせて、月の表面地形の観測精度の向上する、という重要なテーマを担っています。秋田大学でもカメラチームのメンバーがカメラデータの解析を担当します。地下構造を探査するレーダサウンダーという機器の小野PIは東北大の先生です。「かぐや」データは、今後の月惑星科学について基礎的なデータセットとなり、これから何年・何十年と重要なものとなると期待されています。「かぐや」のホームページを是非ともチェックください。
☆高校時代
   さて、私が宇宙を志そうと思ったのは高校3年の時です。私は福高時代を野球に明け暮れました。
  当時の野球部監督は加藤仁一郎先生でした。先生は私が入学する少し前の年に、郡山北高を甲子園に導いた実績をひっさげて、福高に転勤してこられていました。二つ上の先輩には、橋本(守)先輩という野球センス抜群の方がおられました。先輩とは小学校が一緒でしたが、甘いマスクと卓越した運動能力、そして児童会長も務められる人望のある方でした。先輩は中学の時、郡山に転校されましたが、リトルリーグでの活躍などを聞いており、近寄るのも畏れ多い方でした。
 一つ上の先輩ではプロ野球西武ライオンズで活躍された鈴木(哲)先輩、いまや甲子園常連校である聖光学園率いる斉藤(智)先輩が居られました。その他に高橋先輩や中学からの先輩である河野先輩と言ったやはり野球センス抜群の先輩方が数多くいらっしゃいました。いやがうえでもOBの方々の期待は高まっていたと思います。 お陰で練習はかなり厳しく、正直、私にとって授業時間は寝る時間となり、成績はテストを受けるたびに落ちていきました。高校時代を振り返ると、勉強という言葉は全く縁遠いものでした。
 高3の夏、甲子園への道が絶たれたとき、その後の事など全く見えませんでした。考えることもできませんでした。なんとなく家業の建築でも継ぐのかなと思ってはいて、理系を選んでいたもののただ悶々としていました。一体自分は何をしたいのだろう、そもそも何のために生まれてきたのだろう、などと目の前の勉強に対する理屈付けをしたくて悩んでいました。そんなある日、ふと読んだのが立花隆の「宇宙からの帰還」でした。そこには、宇宙飛行士が宇宙で何かしらの啓示を受けたことが書かれていました。宇宙は嫌いでは有りませんでした。そして、宇宙に自分を見つけたいと考えました。おりしもアニメ機動戦士ガンダムの時代です。野球に明け暮れガンダムをテレビでは殆ど見ていませんでしたが、映画を見に行くことがありました。その冒頭巨大なスペースコロニーが現れます。それを見て、これだ、と思いました。
 建築という分野と宇宙を結びつけて、スペースコロニーを作る、それが目標だと決めたのでした。中身は詰まっていなかったのですが、自分の目指すべきものが何か見えて興奮しました。ある日、親友である橋本(憲)君(橋本先輩の弟)や(後に予備校、京大でも一緒になることになる)島貫瑞樹君らが家に泊まりに来て、夜通し話をしました。彼らと話し、彼らからの意見をもらう中で自分の道が少し確信を持って見えてきたのを思い出します。
☆進路
 ところが、宇宙と建築をするということで、航空学科と建築学科のどちらを取るかということになったのですが、簡単には決められません。とりあえずこの二つの学科を持つ大学を(後で転部でも考えるつもりで)探したところ、二つの学科を持つのは九州大学と東京大学、それに立命館大学と日本大学だったかと思います。入った後に選択できるとなると東大しか有りません。ということで、自分なりに考えた末、自分は東大を狙うと周りに宣言しました。成績では既にかなり落ちている生徒がこんなことを言い始めたので、周りもびっくりし、呆れたようです。ある先生に「おまえ、東大は無理だけど東北大はどうだ? 冶金だったらがんばれば入れるかもしれないぞ」と言われました。この言葉には悲しく思いました。どうして冶金でいいから入れ、なんて言うのだろう? 自分は自分が目指すべき道を考え、それからあるべき大学を考えたのです。名前を欲したのではありません。しかしフンギリが尽きました。「自分のことは自分しかわからない、自分の道は自分が責任もって選ぶ」と。
 
 二年間の浪人の後、京都大学理学部に入学しました。
 受験直前に東大から京大に変えました。その理由は、スペースコロニーを作るとしたら工学ではなく、原理そのものを突き止める理学を学ぶべきだ、という考えになっていたからです。
 予備校で(その後、結構マスコミにもよく出演されることになる)秋山仁先生の講義で数学の美しさ面白さを再認識したり、物理学をわかりやすく教えてくれる山本(義隆)先生(かつて全共闘の志士だったとか)の講義を受けたのを機に物理関係の啓蒙書を読んで物理学の人類を発展させる威力に感動してしまったことなども理由かもしれません。いや、もう一つ大きな理由が有りました。受験前に当時アメリカNASAから帰ってきたばかりの東大の松井孝典先生の講演を聴く機会があったのですが、はっきり言っておもしろくなかったのです。(今思えば、松井先生のされていたことは、私のしたいこと・知りたいことと同じで、講演でもう少し私に興味を起こさせていてくれたらとも思います。以前、先生にそのことで愚痴ったら、
「それは君がバカだったんだよ」と一蹴されてしまいましたが..)そして、理学といえばノーベル賞、ノーベル賞といえば京大、とかくも単純に理屈付けして志望校を変えたのです。兎も角、それ以来、色々紆余曲折はありますが、宇宙を知り、宇宙に人類が出て行くために何かできることがしたい、ということを自分の生き方の土台にして道をたどっている気がします。というより、迷ったら常に初心に返ります。スペースコロニーではありませんが、人類の発生の鍵となる情報を持ち、また、将来人類が宇宙へ出て行く最初のベースキャンプ地となるであろう月探査に従事できているのは、自分のやりたいこと、知りたいことを常に自分の中心に持っていたため、なんだかんだといいながら、その方向へ歩んできているのかもしれません。
☆後輩の方々へ
 こんな自分の経験から進路に迷う後輩達がいたらこう言うでしょう。「まずは、何をしたら自分がこの世に生を受け、生きて来て満足といえるのか? を真剣に考えること」と。
 時間はかかるかもしれませんが、きっと自分が納得いくものをえられると思います。そして、次にアドバイスすることは「たかが大学」、大学で学ぶことなど人生の中では微々たるものです。転部・転学と可能性はいくらでもあります。大学院に至っては更に可能性が広がります。社会人入学だってあります。悩む受験生にアドバイスしたことがあります。「小学生や中学生が、誰々ちゃんが好きだ、ラブレターを出そうかどうか、と悩むのを見て何という? 当の本人にしてみれば大問題だろうけど大人になってみれば微笑ましい程度だよね。大学をどこにするかなんてそんなもんだよ。ただそのときに真剣に悩み、どうしたら解決するかを自分の責任において考えるということが、もっと大きな選択、決断の際に役に立つ」と。
浪人、そして、長い大学・大学院生活を支えてくれたのは両親でした。自分の進む道を信じ、激励してくれた親が居なければ、どこかでくじけていたかもしれません。浪人時代、父親が一言「おまえを信じている」と言ってくれた言葉がどんな言葉より支えになったことか。自分の子供達が悩んだら、それを言えたらいいなと思います。(子供達には「もっと信じていると言わせてくれ」と言いたい今日この頃ですが...)
(独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部 固体惑星科学研究系 勤務)
「かぐや」プロジェクト参加 春山氏に聞く
                                                    福島民報 平成20年7月7日掲載
佐藤久男(高7回)著
『スペイン・中南米紀行U』
価格:1,700円+税(文芸社)
●著者から一言
 一昨年(2006年)8月、私は初めての著作を出版し、関東梅苑会のホームページにご紹介頂きました。
  このたびはその続編「スペイン・中南米紀行 U」を出版し、本年4月から販売されています。二作目のものは前作で書き残したこと、またその後の旅行のことなどを書きました。

 本書の「はじめに」にも書いたのですが、旅に出るとたくさんの出会いがあります。人との出会い、その国の歴史や異文化との出会い、感動するような景色、おいしい酒や料理、はたまたトラブルとの出会いもあります。本書も前作も各国で出会った人々との交流を通じた色とりどりの物語です。

 本書及び前作に登場する人々との出会いはすべて偶然ではなく、私の人生にとっての必然だと考えています。旅行で出会ったたくさんの人たちは、私の退職後の生活をより一層豊かで、楽しいものにしてくれています。

 最近読んだ本「オラ!メヒコ」田口ランディ/AKIRA (角川文庫)の中に

 『どんなささいな偶然も、必要だから起こる必然だ。この世に偶然など存在しない』という文章を見つけて大変うれしく思いました。私の本に登場している旅行で出会ったたくさんの人たちに日頃抱いていた思いを、的確に表現していると感じたからです。もちろん本には登場していないもっともっと多くの人たちの出会いを含めての思いです。

 一人でも多くの方々に私の本をお読み頂き、本の内容に共感をお持ち頂ければ嬉しく存じます。

若槻武雄(高14回) 著  『蝦夷・陸奥・歌枕 福島編』
 14回卒(昭和37年卒)、若槻武雄さん(福島在住)が、『蝦夷・陸奥・歌枕 福島編』 [民報印刷 制作出版部]を出版されました。
 ご本人のコメントにもありますように、目下、来年出版予定の続編を執筆中とのこと。 これからもがんばってください。
●著者から一言
  能因法師・西行・芭蕉等、古来多くの文人墨客や軍人が、陸奥の歌枕の地に足を運んでいます。
 例えば、我が福島高校の裏にある信夫山は、その最も身近で、一級の歌枕で伊勢物語では在原業平(825年〜880年)が

      信夫山 忍びてかよふ 道もがな 人の心の 奥もみるべく

と詠み、忍び逢う恋を引き出すのにわざわざ遥か彼方の信夫山を引用したり、 陸奥国按察使左大臣源 融(822年〜895年)は、多賀城への往還の折知り合った子女に
              陸奥の 信夫文知摺 誰ゆへに 乱れ染にし われならなくに
と、信夫の里山口在の田舎娘の虎女に都から千ゝに乱れる心情を書き送っています。
 然も、歌枕の虜になった彼は、三条河原の私邸に塩釜(千賀の浦)そっくりの庭園(最初の日本式庭園) までつくり、難波の海から毎日潮水を運ばせ、藻塩を炊いて陸奥塩釜の風情を楽しんだと言うのです。
 凡そ1200年も前の遥か遠く離れている蝦夷の地に、然も共に光源氏のモデルではないかと云われる高貴な二人が、 この蝦夷の地の信夫山や文知摺に入れ込んでいるのを知って、何とも不思議な魅力に惹かれました。
 彼等に詠まれたお陰で信夫山や文知摺は立派な歌枕の地になったのです。
 勿論、福島県にはここだけではなく勿来の関・白河の関・安積山等多くの歌枕があり、 又、本県だけではなく宮城県外、東北六県には、都の高貴な方や軍人の歌に詠まれた地が150位有るのを知りました。
 そんな贅沢で魅力的な東北に住みながら、都の貴族が憧れた処を知らずにいるのは 勿体無い事であると思い、歌枕めぐりを思い立ちました。各県の詠まれた歌と場所を捜してる内に、どうせ巡るなら其の辺りの歴史も調べて廻りたいと、歴史好きが頭をもたげて来たのです。
 歌枕といっても、今も観光地として現在に生き続けてる知名度の高い所は、そんなに多くは残っていません。
大部分が、ここが歌に詠まれた処であるとの案内板や石碑が立ってるだけであり、景色や風景を楽しみされてる方にとっては、 実に無味乾燥な所が多数です。行ってみたら『エッここがあの有名な歌に詠まれたところなの!』と言う、どぶ川みたいな所もあるのです(マァそれも楽しみの一つなので想像と現実のミスマッチも中々いいものです)。
 そのため、歌枕の旅は、その歌と詠んだ人物と詠んだ人物の歴史的背景を知ってからいくと、21世紀から1000年以上も前の当時の人達の時代や心情を連想・想像する事が出来、楽しみが倍増します。
 生きた証に何も残せぬ私にとって、残せるのは本ぐらいかと思い立ち、恥ずかしながら自費出版してみました。来年には『彷徨其の二・宮城遍』、最後に『彷徨其の三・岩手・青森・秋田・山形遍』を予定してます。
 其れが終わりましたら東北の由緒ある神社である『延喜式内社・陸奥百座』を纏めて見たいと思っています。
 素人の趣味の範囲のまさに稚拙な本であり、史実・事実とは違うところはご容赦頂き、ご一報頂けたら幸いです。
●詳しくは、下記サイトをご覧ください。
http://www7.plala.or.jp/t-aterui/
●ご注文・お取り寄せ、お問い合わせ
株式会社民報印刷 制作出版部  
(住所)960-2154 福島市佐倉下二本榎前10-7  (電話)024-594-2174 (Fax)024-594-2158
(価格)1冊 1、575円 /送料:525円 代金手数料:315円    *表示価格はすべて消費税含む
新井薬師寺・根本智英貫主(旧制中学44回卒)
外資系商社に7年、そして貫主に
西武新宿線・駅名にもなっている新井薬師寺梅照院の貫主・根本智英さん(旧制中学44回卒)をご紹介します。
  駅名や地名にこの寺院名が使われているだけに首都圏在住者にとっては馴染みが深い。開山は1586年で「眼の薬師」「子育て薬師」として知られ、新東京百景にも指定されている名刹である。
  福島生まれ、福島育ちの根本さんが、なぜ新井薬師寺の貫主なのか。
  根本さんは旧姓が網代。福島市清明町の羽黒山真浄院の3男として生まれた。真浄院は、江戸時代は、信夫山にあったが、明冶の神仏分離令で山を降りた経緯がある。根本さんが、附属小学校から福島中学に進学したのは昭和16年4月だった。
【軍事教練の授業。勤労動員で横須賀の軍事工場へ】
「校長は小檜山久作先生。当時の英語教育は特に熱心で会話重視の英語教育は定評があったものです。また、漢文にしても戦前の教育といってしまえばそれまでですが、『十八史略』、『論語』などレベルは高かったような気がします」
  時は、日中戦争から日米開戦と戦争の時代だった。
「2年時に敵国の競技として野球禁止になったんですよ。柔道、剣道、弓道など日本古来の運動が中心。もちろん授業には軍事教練の科目があり、三八式銃を持ち、それも点数が付き、成績が悪いと士官学校は受験できなかった時代です。勤労動員で、4年の時は横須賀の海軍工廠に行きました」
  卒業が20年4月だった。大正大学英米文学部に入学したが、東京は焼け野原だった。
「敵性語とはいえ、英語に関心があったんです。福中時代の英語教育の御蔭ですね。しかし長男ではないけれど、兄たちは学徒出陣、2番目の兄は特攻隊で、いつ戻るか分からない。僧籍につく覚悟は既に決めていたので仏教学部の単位も取得しています」
  二人の兄が無事帰還した。そんな時に「新井薬師に跡取りがいないということで、新井薬師に養子となったわけです。義父はまだまだ元気でしたので小坊主をしながら大学に通いました」という。
【昭和25年に香港の銀行の東京支店に】
そして昭和25年に香港恒生銀行大昌行に入行した。
「香港恒生銀行の東京支店で、実質商社の活動をしていました。現在も外資系商社として知られています。主に落花生や小豆をタイや中国から買い付ける仕事でした」
  外資系商社マンを7年間をつとめ、本格的な僧籍の修業を開始し、総本山の女人高野と呼ばれる室生寺に。昭和45年に先代の後を受け住職となった。
写真: 「見学がてら、気軽に声を・・・」 と根本さん
【自然の法則に身を任せよ】
後輩たちには、アドバイスを―と問うと、今年の吉書展(毎年三越本店で開催)に出展した書の写しを披露してくれた。
〈俯仰任乾坤〉−俯仰乾坤(ふぎょうけんこんに)に任す−とある。
「孟子の金言に〈俯仰不愧天地〉−俯仰天地に愧(はじ)ず−とあります。俯仰とは、起居動作、心のあり様も含めた人生です。乾坤一擲は、運命を賭した大勝負という意味ですが、乾坤は、天地自然には宇宙の根源的真理という意味。自然の中に学ぶ法則があり、心から自然の美しさに融合する悟りなのです」 凡夫には、なかなか悟りの境地までは辿りつきそうもないが、悩んだり迷ったらしたら、社会的評価を気にせず、見栄などはらず、真理(真実)を追い求める眼を持ち、自然の流れに任せる。そうすれば自ずと倫理感の行動ができ、問題は解決するということなのかもしれない。
「目の薬師」「子育て薬師」の和尚さんである根本さん。後輩たちに真実を見る目を養い、単に身体の健康だけではなく、心の健康を維持する秘訣を説いているようだ。
(文責・24回油井富雄)
佐藤久男(高7回)著
『スペイン・中南米紀行』
価格:1,700円+税(文芸社)
私の兄から「同級生の佐藤久男君が面白い本を出版した」と教えてもらったのがきっかけです。読み出したら最後まで一気に読んでしまったほど面白い本なので、是非、関東梅苑会の皆様にもご紹介したいと思います。 特に、定年後を積極的に生きたいという方、また、これからスペインや中南米を旅行したいと考えている方には、是非ご一読をお勧めします。 筆者は、11年前に会社を定年退職されてから、スペインや中南米にて毎年2ヶ月以上ホームステイによる語学留学を重ね、その地で出会った人たちとの交流を紀行文にまとめられました。  外国の人と友達になり、幅広い交友関係を続けるという知力・体力、そしてその精神力に感服しました。また、実際の滞在経験を元に書かれているため、本書を通してスペインや中南米についての風土、歴史などを興味深く勉強することができました。                          
(高校14回 小松恭三)
<佐藤久男氏のコメント>
私は60歳で会社を定年退職後、大好きなスペインや中南米諸国を毎年旅行して参りました。あちこちに友人が出来あっという間の楽しい退職後の生活を送っております。その旅行のことなどを1冊の本にまとめたいと長年考えておりました。願いがかない、この度私の本を出版することが出来ました。本のタイトルを『スペイン・中南米紀行―定年後の語学留学』と付けましたが、自分では「佐藤久男の世界」としたかった程です。本は旅行にとらわれず、自分の世界を自由に書きました。
自分でも不思議に思うのですが旅行を続けていると自然に友達が出来ます。ヤングの友達が先方からやって来ます。本にも書きましたが、これは沢山の若者と付き合い、若さを保ち、今後もスペイン語の勉強を続けて衰えかかった私の脳の活性化を図り、そして年齢を重ねるごとに人生の楽しさを感じるように、神様が私のところへ遣わしてくださったと自分では思っております。
一人でも多くの方々に私の本を読んで頂き、本の内容に共感をお持ち頂ければ嬉しく思います
追)本の章の一つに「歌手リラ・ダウンズとラケル」というものがあります。
昨年、彼女が生まれたトラシュアコという僻村の生家を訪ねた時のことを雑誌「LATINA]へ投稿しておりましたところ、2007年1月号にその文章が掲載されました。
近くの書店でお求めにくい時は、アマゾンドットコム http://amazon.co.jp/ で「佐藤久男」か「スペイン・中南米紀行」と検索してください。
斎藤一郎先生の翻訳本
『真空管70年の歩み』
(誠文堂新光社)
福高2年と3年のクラス担任で、大変お世話人なった斎藤一郎先生(英語)から、先日メールが入りました。
もう何年もお会いしてないのですが、最近翻訳本を出版したとのことです。是非関東梅苑会のホームページにて皆さんにもお知らせしたいと思います。この3月に80歳になられたということですが、こうして本を出版するほどお元気のご様子、メールも今年になって覚えたとのことです。書店に立ち寄りの際には、探してみてください。
一郎先生から出版の経緯について、次のようなコメントをいただきました。
<斎藤先生のコメント>
出版の経緯は、感謝と出会いの二つにつきます。中学生の頃、電気工学専攻の叔父の影響で、鉱石ラジオや真空管ラジオに興味を持ったことが、そもそものはじまりです。定年退職後、ジョン・W. ストークス著 『70 Years of Radio Tubes and Valves』 を愛読していましたが、雑誌『MJ 無線と実験』の真空管の連載記事で、真空管研究家の大塚久氏がこの著書から引用していたことから、一層のめり込み、知らぬ間に翻訳を始めていました。連載終了時に、愛読させて頂いたお礼の手紙に、同書を翻訳していることを書き添えて送ったことが出版のきっかけとなりました。翻訳に約4年、版権取得や校正などに約2年、本の体裁、ページ数、段落なども原著に合わせる必要があり、興味と少しばかり辛い思いもありましたが、こうして無事出版することができました。
お世話になった方々に感謝したいと思います。
(文責・31回 島田 久)
近くの書店でお求めにくい時は、アマゾンドットコム http://amazon.co.jp/ で「斉藤一郎」か「真空管70年の歩み」と検索してください。
鈴木哲さん【高校34回・昭和57年(1982年)卒・42歳】
あのライオンズの鈴木哲さん。
戦後初のプロ野球選手、
開校以来の五輪選手。
現在、西武・スカウトとして活躍中!
エースは健在 !!
同期に限らず、ご記憶の同窓生も多いだろう。慶大野球部時代は六大学野球リーグで慶大エースとして通算18勝をあげ、ドラフト1位指名が予想されたが、頑なにプロ入りを拒否しノンプロの熊谷組に入社した。
 2年後の1989年に西武ライオンズからドラフト2位指名を受け入団。新制高校になってからは初のプロ野球選手(福島中学卒でプロ野球創生期に1人いた)。熊谷組時代には、ソウルオリンピックに野茂や古田とともに出場、福高史上初の五輪選手でもある。しかし、プロ入団後は期待通りの成績があげられずに広島カープに交換トレード、その後再び西武に移籍して97年引退した。
 プロ通算成績7勝13敗1セーブ。華やかな反面、厳しくもあるプロ野球の世界に身をおいた鈴木哲さんは、いまどうしているのだろう。

【現在の仕事・西武スカウト外人担当】

 鈴木さんは、引退後西武の球団職員・スカウト担当となり現在国際渉外部課長の職にある。
 「当初は日本人選手の担当でしたが、現在は外国人担当です。今季は、私が契約交渉まで行ったピッチャーのギッセル、グラマン内野手のリーファーがいます。活躍してくれると信じています。情報網を駆使し有望選手を探し、売り込みにも対処し契約交渉、さらに外国人担当の場合は、住居の世話や家族のもろもろの相談など雑用を兼務してます。自分が仕事(入団)のきっかけを作り、選手がスキルアップして認められる。うれしいですね。その一方で自分自身も成長し学ばせてもらっています」と、笑顔で語る鈴木さん。
 これまで担当したのは、ピッチャーでは長田、小野寺、中軸打者となった佐藤友亮などが活躍している。スカウトとして実績が実を結んできた。
  普段は、西武ライオンズの球団事務所がある所沢に詰めている。
「ホームゲームで西武球場の試合の時は、試合終了まで球場にいます。有望選手を見るために出張も多いですね」
【高校時代・ベスト8で敗退】
信陵中出身で中学で県北大会優勝、福高入学し即野球部に入部した。高校3年の夏、下馬評では、福高も甲子園出場が有力視されていた。福高はエース鈴木のほかにアンダースローの斎藤(現聖光学園監督)の2枚看板があった。
  順調にベスト8まで勝ち進み、相手は平工。これに勝つと準決勝で福商と戦うことになっていた。
「私が先発して4番に2ベース打たれ、スコア1−0。負ける相手ではないと思っていただけに悔しかったですね」 この年の福島県代表は、エース古溝(阪神、オリックスで活躍)を擁する福商だった。
【2浪して慶大へ。エースとして通算18勝】
高校時代はプロからの誘いがかかったが、進学を希望、東京で浪人生活を送っている。
 「当時慶大には福高野球部の先輩(橋本守世)がいて、神宮球場に早慶戦を応援にいって、あの雰囲気で投げてみたい」と2浪して慶大文学部人間関係学部に入学。
 1年の秋のリーグ戦からベンチ入りして、通算18勝をあげた。ちなみに立教大には長島一茂が活躍していた。
【海外の仕事をと熊谷組に入社】
 当然プロの主要球団のスカウトから声がかかり、ドラフト1位候補だったが、プロ入りを拒否。大手ゼネコンの熊谷組に入社する。
 「プロ選手にはなるつもりはなく、全部断りました。ノンプロでもう少し野球もやり、将来的には海外事業部で仕事したいと思っていました」
 熊谷組はゼネコンの中でも海外事業に定評があり、現在は廃部になったが社会人野球では強豪だった。そしてソウル五輪の野球の選抜選手に野茂、古田らとともに選ばれて、日の丸をつけて投げている。
 熊谷組2年目の秋、プロ野球ドラフト選択会議で西武が鈴木さんをドラフト2位指名して世間を驚かせた。プロ入りを拒否宣言していたのは西武との密約があったのでは? と書いたスポーツ新聞もあった。まだ選手の逆指名制度がない時代だった。
 「密約もなにもないのですよ。ドラフト直前には、西武とダイエー(現・ソフトバンク)から挨拶はありましたが、断りました。大事なドラフト枠ですからね。西武は強行指名しただけなのです。ただ、私の心の中で微妙な変化があった時期でした。野球は熊谷組で2年やってやめて仕事に専念しようと思ったのですが、その年に都市対抗やら五輪やらで悔しい思いがあって、もう少し野球やろうかな、と思っていた時だったのです」
 これには、裏話もある。当時の西武の球団管理部長の根本氏(隆夫・のちダイエー。プロ野球にゼネラルマネージャー制を導入した草分け)の最終決断で指名したのだった。他球団と競るようだったら1位指名しようとしていた。
 これを聞いてグラッと来て入団を決意した。この時の1位指名は潮崎投手(新人賞獲得)だった。
指名したけれど入団させられらければ、ドラフト枠を無駄に使うことになる強行指名。微妙な選手の心理を読み、獲得の熱意を目の当たりで一転入団した自分の経験は、現在のスカウトの貴重な実体験でもある。
【デビュー戦完封勝利・清原祝砲】
 契約金の一部から福高野球部に野球道具などを寄付している。
 西武入団1軍デビューは9月、優勝のマジックナンバーが出ていた大事な試合だった。相手はロッテのエース村田兆治、スコア3−0の完封。清原が祝砲のホームランを打ってくれた。その年は1勝1敗、2年目は4勝6敗。しかしやがて1軍に上がる機会さえめったになくなった。広島カープに交換トレード、そいて再び西武に戻った。
 「右ひじ痛で腕が上がらなくなったのです。それでも工夫し、投げていくのです。それでアンダースローにフォームを変えたのです。バントされると1塁の送球がアンダースローでないと投げれないほどでした」
 97年引退。そのまま西武スカウトに転進した。野球選手としてはそれほど高い年俸ではなかったが、球団職員になると、そのまた何分の1になった。
「期待通りに活躍できず、世話になった球団ですからね。それ以上に野球が好きなんでしょう」
【則天去私】
 広島時代ですかね。よく本を読みました。その中に夏目漱石が晩年に達した境地の則天去私、その言葉が気に入って、その心に自分でも近づきたいと思いましたね。試合ではピンチになって、もうジタバタしても仕方ない。ドキドキするの欲が強すぎるから。あせりがあるから。マウンドからふと天を見上げると星が瞬き、地球という星で野球をしている自分がいる。たかが野球、我執を滅し、すべて天の采配に任せるという意味に自分で勝手に解釈してます。ピンチの時でも平常心で投げられた。引退後ならもっとそういう場面が出てきましてね」
 9回まで野球はあるが、人生を野球のイニングに喩えるならいま何回ぐらいか?
「まだ2回ですか。ピンチもあるでしょう。勝ち負けは別にして完投したいですね。そしていい試合にしたいですね」
【趣味は落語鑑賞】
 「休日には落語を聞きによくいきます。笑うと落ち着くのです。笑いは健康にもいいというしね。特に人情話が好きです」
【ぜひ西武球場へ】
 「5月の関東梅苑祭はシーズン中で、出席できない可能性が高いのですが、故郷の福高時代を振り返るもいいですね。ふだん西武球場にいます。いつでも声かけてください。座席指定のいい席を用意しますよ」
西武ライオンズ時代
広島カープ時代
 
 (文責・24回 会報担当・油井富雄) 
   
 
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